多くのダンスは個人的な体験だと思う。似たような経過をたどっても、やはり個人的なものだ。ダンスを始めたときには、誰にもそれなりの理由と動機があって、そしていまも続けている。
だけど、社交ダンスは個人的なものではないと思う。
一緒に踊る相手がいるし、仲間もいる。もし競技会に出れば、ジャッジや観客もいる。あなたがフロアに立ったとき、あなたは誰のために踊っているのでしょうか? 音楽に合わせて踊るとき、あなたはあなた自身を表現できる。それは、あなた自身のため? それとも相手のため? あるいは観客のため?
私は自分のために踊り始めた。とても充実していて楽しかった。でもある時、自分の中のずっと抑えていた感情が目覚めた。最初の出演はスタジオの発表会だった。自分を表現したかったし、夢がかなったと思った。
ダンス技術も上達し、パートナーシップについても学んだ。でもステップが難しくなってくると、相手とのコンタクトがずれてしまう。相手は私がどこにいるのか感じられないし、私はどこに誘導されているのかを理解できない。
そこで、ダンスは壊れてしまう。
私は自分以外のためにも踊らなくてはならないと、気がついた。相手のために踊る、二人の個人が一組になって踊る。音楽に合わせて、ストーリーを作る。そのストーリーはよりクリアにパワフルに変わっていく。
(この文章はフローダンスの記事を参考にしています)
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